そのうえポストモダン・プロレタリアというような、さらにもっといかがわしい言い方もしてるんですけども、このポストモダンっていうものの中には、まあ普通ポストモダンっていうと新し物好きのヨーロッパの最新の思想流行を取り込むというようなニュアンスありますけれども、モダンっていう言葉をいわば二十世紀の社会主義全体として、ポストモダンという意味を二十世紀社会主義の実験の失敗の後というふうに考えて、その後に現れてきた階級というニュアンスで捉えて頂ければ、と思います。
それと、もう一つ強調しておいた方がいいと思うのは、朝日新聞の求人ネットの記事なんですけども、要するにインターネットを使った求人の形態を普及させようと明らかに政府や巨大企業は考えている訳ですね。これは寄せ場のインターネット化とすら言える。つまり携帯電話やインターネットの普及、今やiモードみたいなものが急激に普及している訳ですから、インターネットと携帯電話を分ける意味全くないですけれども、いわば携帯電話の普及とフリーターというような言葉が出現したのは全く同時代の事だったっていう事が、これからはっきりしてくるんじゃないかと思います。例えばレギュラシオン学派という労働の形態とか社会形態と技術の変化みたいなものを、密接に関係したものとして考えるという経済学、社会学の潮流がありますけれども、そういう発想を導入して考えると、携帯とフリーターっていうのは両方で引き合うようにして一挙に二十世紀終わりの社会に蔓延した現象として、しかも日本を出発点として蔓延した現象として記述される時が必ず来ると思うんです。この接術の変容といわゆる労働力のフレキシブル化は全く切り離せない。つまり携帯電話を一人ひとり持ってる訳ですから、一人ひとりの求人とコントロール、管理が可能な訳ですね。明日何時からここ行ってくれって事が、一人ひとりに連絡できると。しかも昨日の夜、あそこへ何時に行ってくれっていった事を今朝変更する事も可能です、どこにいても。もちろんそれは変更にあたっての求人される側の負う負担っていうのを考えないで、無視してっていう事なんですけども。そういうフレキシブルな変更が可能なメディアな訳ですね。
それともう一つは、家庭の中で携帯電話を一人一台持ってるという状況が、到来していると思うんですけど、ますますそういう状態は加速度を増していくと思うんですよ。つまり家庭、いわゆる父親が外で働いて母親が家庭を切り盛りして、子供達が養われて家庭が成り立つというような家庭の在り方は全然普遍的でも超歴史的でも何でもない。例えば僕白身六〇年代、七〇年代の始めまで家族全員で夜中まで働くという就業形態をしていたものです。フォーディズム家族っていう言い方した方がいいと思いますけども。要するにフォードですね。アメリカの自動車会社のフォードがオートメーションの生産ラインを作って労働者を雇用する。しかもその男性労働者を雇用して女性は家庭で、家庭内の切り盛りをやるというような分業があって、そこでの性差が固定されて、つまりジェンダーですけれど、ジェンダーが固定されて子供達はその場で養われながら一定の労働力として必要な学力を注入されて、次にまた大きくなったら結婚してそういう家族を再生産する。そういう家族の再生産構造はせいぜい一九二〇年代、三〇年代にアメリカやヨーロッパでできて、それが例えば日本の場合、戦後になって爆発的に広まったにすぎない。農民はそういう家族の形態を取ってませんでしたし、都市の自営業者もそんな形を取ってなかったですね。むしろ人口的には、ヨーロッパやアメリカ以外ではそちらの方が多数派だった訳ですから、そういう家族形態、近代家族というよりもむしろ近代の中でもさらにもっと特化してケインズ主義以降の、フォーディズム家族って言った方がいいと思います。その形態が携帯電話の出現によってバラバラになる。もちろん携帯電話だけじゃない、もっと前から。家電に対して個電っていうような言い方をするような人達も出てきてました。それが徹底化されるのが携帯であり、極端に言うと一時間前と一時間後の労働の質が全然違う現場に行かせる事もできる。一人の労働者を多重な人格の中で使うという事も可能になってくる訳ですね。多様な労働力としてその潜在力を引き出すという事も可能になった。いわば多重人格化せざるを得ないというところもある訳です。そういう形でフォーディズム家族も解体し、それから一定の統一した人格を持って、生産–消費活動をして結婚して子供を産んで再生産する、そういう形での近代的な人間概念みたいなものも、テクノロジーを媒介にしてバラバラにされていく。これはもちろんマイナスの意味が非常に強いですよね。それだけ自由に管理できるという事になる訳ですから。当然そうなんですけど、逆に言うとじゃあそういう家族が理想だったのかっていう事は全く言えない訳ですから、別の可能性もある。いずれにせよフリーターと携帯の出現が全く同時代だったことのプラスとマイナスは、明らかになってくる時が近いうちに来ると思います。