灰野敬二 トーク・エッセー 5

音楽評論家っていうのはね、たぶんギター弾いてたと思う。普通の奴より音楽が少しは好きなんだから。露骨に言うけど途中で挫折してるの、みんな。そういう人間も、それ以前に今のほとんどのミュージシャンもね、独創的な音楽で自分をアピールしたかったの初めは。ところがだんだん挫折していって、自分の位置とかを作り出すと、露骨に言うけど、僕のことをすごいって言ってしまえば楽なの、やらなくてすむんだも。そこでリスクをしょわないってことは、すごいって言ってしまうことだし、これは問題発言かもしれないけど、キリスト教とか宗教と全く一緒。みんなジーザスに、イエス様に憧れたり、人がイイことをしているの見てイヤだって奴はまずいないと思うのね。イイことってやっぱりみんなしたいのよ。できなくなるタイミングっていうのはある。それは具体的に言うならば、自分の位置だよ。それを言うことによって百人に睨まれるのは怖いわけ。
 今日も電車に乗ってて、若い娘が席を譲ったのお年寄りに。それはすごくイイことなんだよね。ところがすごい照れてんだよ。なんで照れなきゃいけないのか、照れるからできなくなっていくんだよ──。照れるべきじゃないんだよね。イイことをした訳じゃない。座ることのできたお婆さんは「どうもありがとう」って言って感謝してる。それが位置なんだ。人の目を気にしなきゃいけない。それはここでダメ、つまらないって言ったならば、評論家連盟があるかどうかわからないけど、そっから睨まれるわけでしょ。問題発言になるんだろうね。
 確かに日本が「村」「島」っていう感覚をすごく持つけど、誤解されたくないけど、足を引っ張るとか、他人の批判をするとか、それはどこにでもあると思う世界中。ただ批判される元ね。例えば正しいって思って、正しいって言い切った時に批判されるのはヨーロッパとか日本じゃないかもしれない。日本人の場合は、まだこれが正しいと思えるものが形成されていない。もう、か、前からかわからない。だって全て情報で知らされてる訳だから、自分で見つけて美味しいって言える人ほとんどいないも。そのことの方が怖い。例えば、実際に向こうの40歳の人が来てくれて、僕の音楽を嫌いな人だってもちろんいる。一回聞いて冗談じゃない、これはロックじゃないって思う奴はブーっていう訳だし。ただしそれはハッキリしてるよ。自分のものを持ってると思うよ。アメリカに住んでる人に聞いてビックリしたんだけど、お母さんが「他の子と違うことやれ!」って言って子供育ててるって。そうしないと目立たないから。