灰野敬二 トーク・エッセー 4

今ミュージカルなんていうのは利害関係で結びついて、お互いにないものをお互いに傷の舐め合いとしてもうテンションを上げるんじゃなくて、100%のうち60%でも70%でも接点があればいいと思うよ、そんなんじゃないも。このへんの20%のところで何とかこう癒着しているようなことと全く同じだからね。だからミュージカルとか本気でやるならば、お互いが自分のやってる表現に対して至上主義にならざるを得ない。でもぉ、なんか知らないけど邪魔だけど踊ってる奴がいるとか、詩書いている奴がいるとか、じゃー何なんだよオメエよって言った時に、お互いが言って全然やってることは違うんだけど何か接点があるじゃない。
 やっぱ接点っていうのは、僕はリスクだと思うのね。リスクであり、微かでもいいから、陳腐な言い方だけど、ほんのちょっとでも世の中を少しでも良くしたいっていうね、とりあえず悪くしたくないと。それこそ傷ができているのはもう事実な訳だから、それをもうどうせなら全部拡げちゃえと、傷拡げてしまえば宇宙になれるじゃないかと。ある同志がいないと言葉で戦えなくなっちゃうし、一人じゃできないよ。一人でやるっべきなんだけど、一人じゃできない。だからこそ仲間が欲しい訳だから。
 ここなんだよ問題は。あのね、やっぱりわかってんだよ(音楽評論家は)。わかってんのと、人間の本当に哀しいサガで、自分の生活ね。でも何でもそうだけど、みんながそうだって言えばいいんだよね、よくないって。だって今のJ-POPをいいって言う奴はひっとりもいないよ。聞かされてる子たちは別ね。彼らはいい悪いじゃなくて、子守歌としてかけられてる訳だからドンドン育ってくる訳よ。
 評論家っていうか、言い切れないけど、いまだに日本の場合は30才でいまだに音楽を聞いてる人だからね。この違いだよね。イヤな言い方だけど、日本じゃないところではやっぱロックやるのよ。なんで僕が日本にロックないとか、作らなきゃいけないっていうのは、1年に1回でも2回でも(欧米に)行くと、去年来た‥‥こういう言い方をしよう。10年前行った時に、髪の毛が既に白っぽかった人がいる。10年たってその人が禿げてんのよ。どう考えたって同じ人で、あの時白髪だから少なくても30、10年たって40だよね。40の奴が来てウワァーってやんだよ。頭トンガってんのが来てウオォーってやんのと違うんだよ。要はここが面白いんだけど、ウオォーは同じなの。日本の場合とは質が違うウオォーで、質の違う客なんだ。だからロックがあんのよ。昔ジミヘンを見てるなら42、3歳はいってると思う。そういう人間が、やっぱり10年たっても1年に1回かもしれないけどほんとにライブハウスに来るのよ、ロックを聞きたくって。これは日本にないもほとんど。言わせてもらえば、僕のお客さんがかすかではあるけど何人かはいるけどね。やっぱり悔しいと思うし、なんで日本にロックないんだってね。
 ある時に不失者のことはああ皆わからないって、僕の中でもうしょうがないと。不失者を聞かせる前に、もし不失者がロックから生み落とされたものだとすれば、とりあえず不失者を生み落としたものを一度は見せなきゃいけないっていうので哀秘謡を始めてるから。ほら、例えば既にある曲をその通りやるのはこれはもう絶対ロックなんかじゃないから。ジミヘンにしたって、ドアーズにしたって、自分たちのサウンドにした訳だからねブルースを。とりあえず、僕の信じているギリギリのロックを見せて、そこで反応が起きなかったら、またやり方を考えなきゃなって。
 何でそこまで俺がやらなければならないんだっていうのはあるけど、やっぱりロックが好きでロックにこだわっていたいっていうのがあるんだもぉ。ジャズなんてどうでもいい。フリージャズが消えようと、モダンジャズが腹減ろうと俺は構わない。俺はお世話になってないから。俺の中に知識として、それこそリズムの取り方とか、裏の間の取り方とかね、確かにモンクを聞いて勉強してその方向に向かっていったのは明らかだけどね、俺のなかでは先生ではあるけど、仲間ではないんだよ。
 いいロックっていうのはそれこそジミヘンとか数は少ないけど、でも彼らだって先生の教えを受けてるし、やはり時代っていうのはどうにもなんなくって、やっぱり昔のものの遺産の上にいるのよ。時代としてじゃなくて、モンクを聞いた人間がモンク以上とは言わないよ、モンクのあのオリジナリティーに匹敵する奴なんていない。それを盗み、勉強しつつ、本人たちがどういうパーセンテージの消化を定義するのかわからないけど、モンクに対してね。でもみんな勉強してる。あいつら評論家と一緒なんだよ。でもやっぱり、すごいと言わないんのよ初めは。ところがある時期にすごいと言うのよ。なぜかと言ったら、すごいと言ってしまえば、自分がすごくなってすむから。これが罠なんだよ。