合田成男 雑話 9

先日、珍しく雪の積もった横浜駅西口で滑って転んだ。転んだといっても、腰を着いたわけではなく、前のめりになって、手袋と左膝から下、ズボンをぐっしょりと濡らしただけである。ふだん、雨の日にはそこを歩かないようにしている慣れた場所なのだが、歩道いっぱいになって駅に向かう人の群を避けて、一段高い通路に上がってしまった。ビルディングの敷石が一メートルほどはみ出している部分で、日中なら青空を映すほどに磨かれた茶褐色の敷石で出来ており、歩道の方に、ほんの心持ち傾斜しいる十数メートルの、いわば、歩道の待避歩道である。雪の下の条件を知っているのだから、用心し、足に目玉を着けて歩いた。ところが、喰わえたばこに雪が降って、煙の通りが悪くなった。もうひと息、吸いたい。手巻きたばこを切ろうした。だが、両手とも手袋、爪が立たず、もたっとした瞬間に右足を取られた。一度は踏んばったものの、淡雪の下は水深二センチほどのプールだった。からだを左に傾げて落ちた。「滑る!」「滑る!」三人組みの若い娘が嬌声を挙げて、からみ合い、四つん這いになった私の横を通り過ぎた。情けない思いとともに、頭も腰も打たずにすんだ無事に安堵した。落ちてゆくときの、足元の雪の昏さ、からだの捩れ、泳ぐ手、落ちた姿、形が一瞬蘇った。ひと昔前なら苦笑し、もっと若ければ照れ笑いしただろう、などとも思った。ゆっくりを起き、用心して歩道に降り、降り積もった白い雪を踏んで、左手首の軽い痛みを摩りながら歩き出した。そして、雪の宵には、人はみな水平に歩くのだ、とひとり合点した。
 この水平という言葉、およそ半年、ずいぶんこだわって来たものの、まだ私には馴染んだものとなっていない。しかし、これは去年の夏、白州の森の独居の結果を総括する言葉として当時、選んでしまったという経緯がある。簡単にいえば、生の垂直軸に対する生の水平感覚ということだ。舞踏あるいは舞踊にかこつけていえば、舞踊手が立つ床のこととなるだろう。土に種が蒔かれ、季節を得て、芽を出し、畑を彩る野菜となる。あるいは花となり、樹木となる。このような生成の原初を確かめたかった。それが独居の根拠であった。雪が垂直型の都会を消し去った。ひとびとはその原初の歩行に戻らざるを得なかった。雪の上に足を出し、神経を集中してしっかりと踏みしめ、ゆっくりとやや閉ざした上体を移す。私が歩道の向こうに見た勤め帰りの人たちのくぐもりは舞台上を歩く舞踊手の歩きの正しさに匹敵するからだの水平な所作であったように思う。ところが、私が待避歩道に乗り、転倒するまでの瞬時、実は彼らの歩行に一顧も与えず、転んだあと、彼らと同じ白い雪に乗ったとき、人みな水平に‥‥と呟いたのだ。ということは、待避歩道上での、転倒に至る私の体験を人みなに仮託したということだろうか。いずれにしろ、転ばずして、彼らのなかを通り抜けていたとしたら、こともなく日常のなかに雪も、人のからだも埋没してしまっただろう。その一月二十日、最初の雪の日、メディアは横浜地区に関して転倒事故の報道はなかった。ひょっとしたら、当日(ひっそりと)転んだのは私ひとりだったかもしれない。
 別に転ばなくても、水平感覚が向こう側からやって来るときもある。白州での、あの瞬間、甲斐駒ヶ嶽を主峰とする南アルプスの連峰、百五十度のパノラマが一挙に箱庭と化し、麓の整備された階段状の田圃が上から順に、その山の底に滑り込んで行ったときのことだ。箱庭の山はどのようにして作られるか、私は知らないけれど、水平面を重ね重ねして出来上がるものと確信した。懐かしい等高線などといった言葉を思い出しながら。信じ難いほどの晴天、光と熱の強圧に干からび、大地にへばり着いた山々を見たのが水平感覚の最初だった。ただ、山々と同様に驚異的な真夏日に直射され、痩せ細った私のからだにも、これほどの水分があったのか、と不思議な感覚を持った私の側のからだの条件もあったわけであるが。
 年が明けて、少しは日が長くなったと感じられる夕方、空にはまだ明るさが残っていた時刻に、行き慣れたスーパーマーケットに買いものに出掛けた。視力の衰えている老人には見難い、歩きづらい時間帯であった。スーパーへの曲がり角の手前は幼稚園、ここだけ、なぜか歩道が狭く、頭上に覆いかぶさる桜の列があって、対向して来る勤め帰りの人を判別するのがむずかしい。気配を感じて立ち止まることも何回か。その二十メートルを通り抜けて、やっと曲がり角に到達した。そこから約二十メートルほど下り坂になる。標高差はおよそ二メートル。緩やかな下りだ。ということは幼稚園の隣りのスーパーを見下すことになる。道に面したスーパーの総ガラスの壁面から店内の明るい光が、自転車置き場のある前庭を照らしている。この明るさと道につぎつぎはいってくる車のヘッドライトに目潰しを喰らい、足元の暗がりからぬうっと人が現れる、という状況にしばし、立ち呆うけになっていた。どの時、スーパーのA館からB館へ、またその逆に道を越えて往き来する人たちがみんな小さい影になっているのに気着いた。その様子は蟻というよりも駒落としの映像を見ているようだ。道はすぐT字路になっていて欅の大木が数本、その後ろの高台は相模平野を南北に走る防風林、スーパーの背後は川の土堤、そこは窪地という舞台であるわけだ。目新しい視野が立ち上がって来た。なぜか、私はその光景を水平と感じ、ほっとした。
 水平感覚とは、こちら側のからだに小さな異変が起こり、また外部の景色にもどこか非日常の条件が加わって、相互にかかわり合い、現実や日常に亀裂が生じることに拠っているとすれば、雪の日の足元の不安定、真夏日の大汗の怖さ、スーパーの日の呆然とした佇立、からだのなかの嗅ぎ取らねばならないような状態を見逃してはならないことのようだ。