合田成男 雑話 6

普段、そう呼んでいるように大野さんと記そう。十月二七日に九十四歳の誕生日を迎えた老舞踏家大野一雄氏のことである。
 先立って、十月十七日に大野さんの公演「宇宙の花」をルネこだいら(小平市)まで見に行った。その舞台で大野さんが後ろに倒れ、床に後頭部を打ち着けるという思わぬ出来事に出会った。ゴム製のマットが敷いてあったから、という冷静な判断に後で納得したとはいえ、その鈍い音は会場にはっきりと響き渡り、花飾りの着いたかぶりものは頭から外れ、はっと息を飲む瞬間であった。背中の丸いことが落下のスピードを緩和したとはいえ、首の筋力が頭の重さを支える強さを既に無くしていること、首だけではなく全身の筋力がかなり衰えている実態を如実に知った瞬間でもあった。二、三年前から大野さんの公演を見にゆく度に、最後かも知れない、という思いが頭の隅にある。だが、この思いは舞台の上ではなく、むしろ日常生活のなかであるだろうと決めていたようで、それだけにこの事件は私にとって衝撃であった。
 とはいえ、私はこの出来事を巡る周辺の事情を記述しようとは思っていない。また、大野さんという舞踏の先達がこの出来事を通して開示しているだろう教訓を抽出しようと試みているわけでもない。ただ、私が見たもの(見たように思うもの)あるいは感知し、空想化したことを述べようと考えているに過ぎない。そして、この夏、山梨の白州町の谷間で私をしばし呆然とさせた透明な膜の上に整然と並んだ活字の美しさに対位するものを大野さんの舞踏に発見、指摘できるかどうか、を賭けてみたいと願望しているのだ。それらの活字は私の土方巽についての想念を「夜想でしょう」と皮肉のまなざしを投げかけた。そのまなざしに応えねばならないと帰宅後、二ヶ月、ときに気になって仕方のないことであった。ことばでなく活字である。しかも活字が透明膜上に整然と並んでいることである。ということは活字そのものが手を取り合って面を成そうとする空間性を持っていることを示してしる。また、それが紙面から二、三センチ浮上するエネルギーとなったのだろう。もちろん、そこに私の視覚を狂わせた木漏れ日や狂わんばかりの晴天があった、そのような条件を無視するわけにはゆくまい。
 さて、この活字に対位すべき舞踏の要件を大野さんの舞台で捜してみよう。ことばを用いて記述しなければならないこと自体が極めて困難であり、不可能事であるように思う。家族によれば、その日その日によって体調がひどく変わるとある。しかし、体調の不安定は舞踊作品の整合性すなわち創作性を壊し、現象としての踊りを強調する結果をもたらす。曖昧な情緒やからだと懸け離れた観念はこのようにして駆遂できるだろう。ただ、からだも、同時に、不安定を根拠とした代替の表現、作品の新構築への意識や意志を持たねばなるまい。不安定は根で生の危機感に連なっているからである。いい換えれば、時々刻々、踊りへの焦点を模索、受能し、逃さないことである。
 舞台は三つの作品「ノイエ・タンツ」「クラゲの踊り・戦争で死んだ友のために」と「宇宙の花」で構成されていた。生涯でのそれぞれの時期を経て、小さな花にも宇宙があると観る現在に至るという構想であろう。あるいは現在から過去を見るという逆の視線があったかもしれない。大野さんの体調が悪い。公演冒頭からバランスを失してよろよろする。踏み変えや踏ん張りばかりの踊跡は作品の、舞台の焦点、大野さんが個的に意志する方向性を顕すには至らず、いたずらに宙を掴むような動きに終始した。大ホールの舞台に特設された四方客席の新ステージは長方形の一辺が長過ぎること、十数メートルの頭上から照射される光は拡散して周辺を平坦にすること、大野さんが大野さんの踊るにふさわしい条件が見当たらない。その不幸をまともに受けてしまったようだ。かつてのモダン・ダンサーとして華麗な情緒を発散させるひと昔もふた昔も前の情景に連なるものは皆無だった。第二の作品は戦後の引揚げ船で死に、水葬された兵士たちと大野さん自身を分けた、すなわち生死を分けたものが栄養失調であったと語り、「悲しかった」五十余年前の感情が、からだの動作が加わって「悲しい」といういまの感情に連続する極めて説得力のある、芯を持つ作品となった。気の済むまで叫び続ければ、この感情は鎮まり大野さんの新境地と評価されただろうと私は思う。予定された十八番、リストの「愛の夢」は披露されなかった。この「愛の夢」のためのブラック・スーツは、舞台現実の時間を無視し、突き進む悲惨な物語にふさわしい衣裳に変わっていた。ピアノ曲が終わり、大野さんも拉致された。この挫折が最後の「宇宙の花」に尾を引いたように思う。老人のからだは狭められた視野を深く生きることに自らの開放を感知するものだ。最初から大野さんのからだは大揺れだった。だっだっと二歩も三歩も退がらねばならない危なっかしさだった。遂に耐え切れず、仰向けに倒れ、頭を打った。しかし、ここからが見所となった。いわば修羅場をつぎつぎと凌いでゆくのだ。転倒は彼に覚醒をもたらした。立たねばならないという意識がこの日、初めて芽生えたようだ。両手を床に着け、腰を上げ懸命な努力を見せる。しかし、これは拙いやり方だと思う。しゃがめばよい。膝に手を置き、中心軸を探って徐々に持ち上げればよい。この方法はこの夏の独居で知ったものだ。立とうとする気持ちよりも、むしろ蹲がむこと、腰そのものが最も低く、地上すれすれまで降ろせばよい。以外に容易に立ち上がれるものだ。だが、大野は床に着いた手の支点を徐々に指先へと移動し、ふたつに折ったからだのバランスを取ろうとする。そして諦める。表現者大野一雄はここで落ちることを選ぶのだ。残された舞踊表現は四ん這いだけである。
 私は秘かに木漏れ日の下の活字の美しさに匹敵する大野の動きは、立ち上がろうとして二度三度微妙にバランスをとろうとする床に触れる指先の移動と四ん這いになって、獲物を求めるライオンのように、力を充足させた全身歩行、その肩、上膊、首、背、腰といった一連する部分の機能だ、と思っている。