情報と移動の加速により、モノやヒトの単一の帰属性が、疑問視されてひさしい。グローバリゼーションという言葉に食傷気味なのが何よりもその証拠だ。このような状況の中で、日本という局所の現代美術を語ることの意義とは、おそらく「現代美術」というグローバルな概念(あるいは帝国的な概念とも言えるのかもしれないが)を共有する他者に対して事例を紹介し、対話を誘発することにある。
社会学者の見田宗介はバブル経済の繁栄を享受し、高度消費社会に向けて邁進した日本の80年代を「虚構の時代」と呼び(注1)、それを受けて大澤真幸はバブル経済崩壊、阪神淡路大震災、そしてオウム真理教による地下鉄サリン事件など、自然と人災によって脆弱な社会構造が露呈し、人びとがアパシー状態に陥った90年代を「不可能性の時代」と呼ぶ。(注2)その「不可能性の時代」に成人を迎えた世代を、世間では「ロストジェネレーション」と呼ぶそうだ。「そうだ」と人ごとのように言う私も、そのロストジェネレーションのど真ん中に入る世代で、バブル経済を謳歌するには当時自分は若すぎ、将来を真剣に考えるときには経済と社会構造が機能不全に陥っていた。こういうと、ロストジェネレーションはあらかじめ未来や希望が失われていて、理想を描くことすら難しいかわいそうな世代、ということなのかもしれない。では、この世代のアーティストたちは具体的にどのような困難に直面しているのだろうか。世代論は世代間の差異を強調することで断絶と諍いを促進し、その結果本来批判されるべき中心的システムへの注視をそらすように作用する場合が少なくないが、それを回避することができるような議論は果して可能だろうか?
ベルリンの壁の崩壊から、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、オウム真理教の地下鉄サリン事件、そしてアメリカで勃発した同時多発テロからイラク戦争と、国内外の社会の混乱は言うまでもなく日本人の精神構造に作用したが、とりわけ視覚芸術家にとって強いイメージを刻印したのは、おそらくその後に目の当たりにした破壊の光景の数々ではないだろうか。阪神淡路大震災での家屋や高速道路の倒壊現場や(注3)飛行機の衝突後にワールドトレードセンターが白い煙をあげて倒壊してゆく様子、そしてアフガニスタンのタリバーンによるバーミヤン石窟の大仏爆破の場面などがそれだ。その中でも日系アメリカ人、ミノル・ヤマサキ設計のワールドトレードセンターは近代化が生んだ国際様式の代表的建築、バーミヤン石窟の大仏は歴史的に重要な文化遺産として知られ、どちらとも公に保護されるべきものでこそあれ、人為的に破壊されるべき対象とは誰の思いもよらなかっただろう。このとき人々は、これまで蓄積された人智、理念、様式、技術、歴史が保護され、未来に伝承されるべきだという意識化の共同倫理が、自分たちと同時代に生きる人間の手によって灰燼に帰した瞬間を目撃し、記憶したのである。
とはいえ、この破壊の同時代に作家たちは、世界に絶望して虚脱状態になるでもなく、着実に現代美術作家としてのキャリアを重ねていた。日本画、アニメ、マンガ、グラフィックデザイン、現代美術を並列することで日本の視覚芸術に一貫する美学、あるいはジャンルの平等性を例証した村上隆(1962‐)は、「スーパーフラット」のキーワードを掲げ、欧米中心のアートワールドに着床した。また、同時期に奈良美智(1959‐)のペインティングの非言語的な未成熟の美的価値はロジカルな欧米のアートワールドで新鮮に迎えられた。一方小沢剛(1965‐)は韓国、台湾、タイなどアジア諸国を中心に積極的に旅をし、そこで異なる文化を背景とした人々とのコミュニケーションを作品化し、多元文化主義を象徴するアジアの作家として注目を浴びるようになった。やなぎみわ(1967‐)は、当初日本特有のデパートガールという職種に注目した写真作品を制作していたが、少女性や老いといった普遍的なテーマに取り組むことで、アートの地政学的な分類から逃れながら活躍の場を国際的に拡げることに成功した。これらの作家の作品に共通するのは、内容ではなく、作品の表面の仕上げに代表されるような、物質的なクオリティの完成度へのこだわりである。それは彼らが「作品」というオブジェに対していかに信頼を寄せているか、ということを証明するものでもある。また、解釈の多様性は承認されているものの、日本の伝統的美学、未成熟の美、異文化間での共生、老いとジェンダーの関係性など、イデオロギーに対するテーマ設定が明確で、その根底には発信すべき作家の強固な意思、つまり主体性が明確に見てとれる。(注4)美術評論家の椹木野衣は、1989年のベルリンの壁の崩壊が象徴的に示した東西対立項の消失に連動し、アメリカ先導型のアートの中心軸も失われたため、作家が「いま、ここ」という瞬間的な実存に縋るようになったと指摘しているが、前述の4名が20代を迎えるころには、ヴェニスビエンナーレでは若手作家を紹介するアペルト部門が設けられ(1980年)、日本では佐賀町エキジビットスペース(1983年)、レントゲン藝術研究所(1991年)など現代美術に特化したアートセンターがオープンし、彼らの活躍の発表の場が開かれた時期でもあった。そのため、1985年の冷戦構造の崩壊は、それ以後の世界情勢の混乱への序章としてではなく、緊張関係から解放と、21世紀という新しい時代の幕開けとして前向きに理解されたのではないだろうか。事実、彼らはこの追い風に乗るかのごとく、日本国外のアートシーンに活躍の場を広げた。(注5)興味深いのは、村上たちの前例が踏襲される間もなく、美術批評家の松井みどりが述べているように、1990年代後半に日本の現代美術が次世代を迎えたことである。松井はこの次世代の芸術を「マイクロポップ」と呼び、以下のように定義している「マイクロポップとは、制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼らず、様々なところから集めた断片を統合して、独自の生き方の道筋や美学を作り出す姿勢を意味している。それは主要な文化に対して「マイナー」(周縁的)な位置にある人々の創造性である。主要な文化のなかで機能することを強いられながら、そのための十分な道具を持たない人々は、手に入る物で間に合わせながら、彼らの物質的欠落や社会的に弱い立場を、想像力の遊びによって埋め合わせようとする。」(注6)マイクロポップと見なされた作家の作品の特徴としては、手軽なメディウムで即興的な表現が可能なドローイングの重視や、本来的な機能や役割から解放した日用品を作品素材として再構成し、美的な価値を付与することなどが挙げられる。(注7)
マイクロポップ以後の日本の若手作家の作品にも、このマイクロポップの影響を色濃く残しているものが多々見られるが、松井の定義から若干ずれが生じている。そのずれとは、作家が「制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼らず」という主体的な抵抗の態度から「制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼ることができない」という、主体性がくじかれた消極的な態度へと変貌したことだろう。それは彼らの作品の中で、構築と解体、創出と抹消という、相反する運動が同居していることからうかがうことができる。例えば、金氏徹平はカラフルなガジェットを組み合わせた立体に白い石膏を滴らせることで、色とりどりの立体の存在を打ち消す。また、2009年3月に横浜美術館で開催された個展では人骨標本のおもちゃを使った立体作品を発表した。人体の形に組上がっている人骨のパーツをそれぞれバラバラにし、それを再度組み上げた作品だったが、それらの作品群と共に、完成作品の構造の脆さを暗示するかのように、組み上げる前のバラバラな状態の人骨標本のおもちゃも展示されていた。田口和奈の近作は、被写体であるポートレートの人物像が消滅してゆく写真だ。田口行弘の映像作品は、部屋から外された床がベルリンのあちこちで構築と解体を繰り返すが、結局はまた部屋の中へと戻ってゆく。
文筆家であり、現代美術作家としても活躍するヴィクター・バーギンは、その著書で、現代美術とはそれを世間に定着させる言葉(理論や批評)と共犯関係を結ぶことなしに成立することはない、と述べた。(注8)そのことはつまり、言説を構築する環境の中の諸制度(市場、美術館、マスメディア)のパワーゲームから逃れて芸術の自律性を保つことはできないということである。現在を常に批判的に更新することが半ば義務とも考えられている現代美術の支柱が、実は制度という批判の対象に深く根ざしているというこのパラドックスは、たしかに現代美術にとって「不可能性の時代」にふさわしい。つまり、ロストジェネレーションの作品の困難とは、作家もそれを論じる人々も、表現活動や作品に対する絶対的な確信を非常に持ちづらいということにある。それは作家にとって制度や体制という挑むべき単一で明確な対抗軸が消失していることと、精神的、あるいは物理的な芸術の永続性に対する無条件の信頼の喪失に由来する。加えて1980年代には美術史家によって「美術」という制度そのものが、日本の近代化の過程で欧米から輸入したものであることが論じられてしまったために、日本人の作家は自らのアイデンティティを、制度として、また個人として二重に模索しなくてはならなくなってしまった。しかし、そのような状況下で美術作品が単にある特定の時代や社会現象の写し鏡としてのみ機能し、私たちもそのように解釈するにとどまるのなら、テレビのニュース番組と何が違うのだろうか?作品が刹那に視覚的な快楽や興奮を人々にあたえ、人々がそれを享受したとしても、その瞬間は日々現実の慌ただしさの中に埋もれ、記憶に残ることすら怪しい。だからこそ、私たちがすべきなのは諸行無常(注9)のポストモダンの隘路の中でもがきながら、それでも創り続ける彼らの勇気を何度でも語り、共に時代の未来を開拓してゆくことなのである。なぜならそれこそが失われた世代(ロストジェネレーション)が実存を模索する唯一の手段だからである。
注1 見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年
注2 大澤真幸『不可能性の時代』岩波新書、2008年
注3:阪神淡路大震災の倒壊現場の風景を作品化した作家として米田知子(1965‐)、島袋道浩(1969‐)、高嶺格(1969‐)などが挙げられる。
注4: しかし、この中で岡本一太郎、二太郎、三太郎という架空の作家を生みだし作品の内容、様式共に従来のスタイルの「崩し」に挑戦している小沢剛は、20世紀から21世紀への移行期の社会的変動に特に敏感だった例として別の機会に考察するに値する。
注5:奈良美智は1990年代にドイツに在住していたため、日本の状況に直接影響を受けたとは言えないが、奈良を日本でサポートしたのは1996年に佐賀町エキジビットスペースと同じ建物内にオープンした小山登美夫ギャラリー
だったため、間接的な影響関係は指摘できるだろう。
注6:松井みどり『マイクロポップの時代:夏への扉』、パルコ出版、2007年、pp6-7。ちなみに本展に参加している泉太郎もマイクロポップの作家として本書で論じられている。
注7:おそらくこの「マイクロポップ」は、一時的な現象に留まらず、トライヴァルな美的概念、あるいは様式として今後も消えることなく存続してゆくことだろう。なぜなら、それは生活様式や、受容美学にも応用可能な感受性の概念だからでもある。
注8:ヴィクター・バーギン『現代美術の迷路』、室井尚、酒井信雄訳、勁草書房、1994年
注9:「諸行無常」とは、仏教用語で、この世の存在は姿も形も留まることなく、常に流動的に変化をしてゆくものであり、同一性を保持することはできないという意味。