灰野敬二 トーク・エッセー 6

アメリカでは)お母さんが「他の子と違うことやれ!」って言って育ててるって。そうしないと目立たないから。やっぱり、こんなこと言っていいのかわからないけど、イギリスから流されてきた彼らが、生き残る術だよね。押しのけるだよ。結局他人と違うことをやれっていうのは、他人を押しのけてでも自分が生き残れっていうことだから。ニュアンスは違うけど、そこにおいてのオリジナリティーはある。オリジナリティーってことに関して言えばね。それは俺たちと違うよ。学校でチーチーパッパってやったらみんな同じうた歌わなきゃいけない訳じゃない。僕の世代なんか特に、できるだけみんなと同じようにしなさいって育てられた訳だよ。
 表現っていう言葉にしても、何かを表に現すことでしょ。ていうことは、それは隠れてることだよね。ここの物がここに現れていたら現す必要はなくて、乱暴な言葉になるけど、どっかから引きずり出すとか、それこそイメージとしては闇だよね、闇とか、言葉でいうと陳腐になっちゃうけど神秘とかね。それをどういう形っていうか、見てもらおうとする訳、聞いてもらおうとする訳だから。そこにおいて、ちょっと話が飛びすぎるけど、僕の考え、ある人たちは考えてると思うけど、やっぱり現在の自分の身体なんか癒す必要なんて全然ない訳で、ズーッと流れ続けてる一種の、本来は一つだったはずの魂を癒そうということだと思うよ。
 僕は最近元気づけられたんだけど、ダライ・ラマ。ダライ・ラマは癒すことはできないってNHKで言ったんだよ。それ見てああやっぱりコイツいいやって。俺アイツ好きだから。アイツって言っちゃうけど、全然気取ってないじゃない。飄々として、人のいいオジサンなんだけど言う時はちゃんと言うのね。で、すごい面白い話があって、癒して下さいって来るんだって、人が。「えっ、私癒すことなんかできませんよ」って、仏教の国際会議の時に。ダライ・ラマが好きなのは悪戯っぽいんだよね。キュートなのよ、失礼だけど。それで、ある時に国際会議かなんかで、なんかここに皮膚炎ができたんだって、ラマさんが。それで「誰か癒せるか、会議が終わった後に私のこと癒してくれませんかねー」って、会議終わった後誰か湿布持って来たんだって(笑)。だからそんなもんですよってね。
 例えばだけど、(レコード店の)ヒーリング・コーナー入りたいなぁ。「癒すって何ですか?」って。癒しのコーナーがあるんなら、反対に癒せないかもしれないってコーナーがあってもいいかもしれない(笑)。打ってみなきゃしょうがない。みんな騙されてる。
 NHKで面白いテストをやってたんだけど、若い子とおじいさんに同じ音楽を聞かせてα派が上がるかどうかって。でもそれは好みなんだよ。歯医者さんとか病院ではよくヒーリング音楽かけてるじゃない、人によっては迷惑だよね。若い子なんかは、ジャガジャガとかラップとかをかけた方がやっぱりいいα派が出てきたっていうものね。おじいさんは、無理ジャン。それを一個一個検証していって、あれがいかにインチキかってわかるじゃない。その作業をやろうか。一個一個崩していけばいいんだから。
 例えば、喜多郎が砂漠で旅をしてあらゆる苦難を受けて、だから人が嫌がる音っていうのは全部わかるっていうけど、わかってるのかと。まずそれが罷り通るのがおかしい訳で。あとね、みんな癒されたいっていうけど、僕に言わせたらば癒されるほど痛んじゃないって言いたい。これもホントに罠で、自分が被害者意識でいる時っていうのは安全なのよ。加害者意識になった時に両方の悪い方が出る訳で、被害妄想と誇大妄想が両方出る訳だ。被害者意識させとけば安全なんだ。前から言ってる、パンクが出た時、あれはもう世界中の資本家のトップが大喜びして拍手したのは、彼らはあそこで遊ばせて暴れさせりゃいいんだも。あそこでエネルギーを放出させてそこでマスターベーション、って言い方はちょっと違うと思うけど、本人たちが体制に対して抗議をしているっていう部分を満たせてあげりゃ良かった訳だから。これも何回も言っててつまんないけど、それも後から暴露されてる訳だからね。それにトップといわれる奴がそれに乗っかった訳でしょう、セックス・ピストルズとか。あれレコーディングには一番いい訳じゃない。あれがたぶん最後の発売禁止だね。
 ああいうのは、イイ悪いは別にしてキレ者がいるのよ。キレ者がイイ方にいないのよ。やっぱりドラマ見ても最終的な結末っていうのは、俺たちはまだまだ見られないことで、途中にいる訳じゃない。そうすると悪い方のキレ者が仕切っている。実際にそうだよね。でも僕は諦めてないからね、とりあえず。微かにでも、ホントに一年に一人僕の音楽を聞いてくれる人がいるだけでできるから。でもお客さんの立場になれば、僕たちの音っていうのは、恐らくお腹が80%くらい膨れちゃうと思うのよね。そうすると、一年に1回や2回にならざるを得ないかもしれない。やっぱりこう、ワーワーワーワー行って騒げるところは、何となく行ってまた騒げるじゃない。これはどうしようもなく人間の本性としてあるから、やっぱり単純にメリットと考えて自分は責任取らなくていい訳だから。