要するに現実の仕事を持ってないと──
現実から受け取るもの、あるいは現実に向かって吐き出すもの、そんな作業が体の中に出来上がってこない。だからやっぱり、熾烈に現実と向かい合っている。それでフッと引いたときに踊りが出来上がると言うような受納の体勢をね、外部がないと駄目なんですね。ところがダンサーはダンサーでいいと言うようなことになってしまって、ひ弱くなってしまったね。やっぱりエネルギーは外からもらう、もう雑然として訳も分からない所からもらってくる。そこの所に〈からだ〉を晒さんといかん。 そんな瞬間を持って何かを、自分自身をキャッチするような、そういうタイプだったんじゃないかな。土方だってそうだろうと思うよ。舞踏の初めに現れてきて「禁色」を出した。「禁色」で舞踏を開始した、という風に言われるのは後の話でね。土方はその時既に、何て言うかな、「病める舞姫」にあるように、幼少の頃からもう悲惨な状態を乗り越えてきてね。東京にやって来て、ダンスによる表現と言うものをおよそ五年、安藤哲子さんだとか、ああいう所で盗み取る訳だ。盗み取るんだけれど、そして自分の一番やりたいことをやれるチャンスがきて、自分のやりたいことをやると、鶏(にわとり)を抱いて転がると言うようなことね。
「禁色」だって一つの結果ですよ──
「禁色」で何かをやろうなんて以前に「禁色」をまず出す。それが抵抗されて混乱を起こす。起こしてそこから離れる。そして独立し初めてここで舞踏だ、と言うような所に入っていく訳なんだけれど、舞踏の初めを考えればもっと前から始まっているはずなんだ。その元の所まで戻っていくとしたら、さっきから言っているように現実と自分の向かい合いね。その形が始終刺激的にあって、受け入れて、それを自分の身体の中から今度は逆に出して行く。そして失敗したり成功したりすると言うようなことだがね、もう堆(うずたか)く積もり上がって行かなければならない。だから刺激が多い方へ積極的に身体を持って行くべきだというふうに、それを土方はちゃんともう小さい時からやっているんだよ。
自分の小学校を遠くに見ているんだ──
そうすると音楽教室があるんだね。そこに窓がずっと並んでいるんだよ。それでその窓は変哲もなく並んでいるんだ。すると奇妙に何かを増殖している。増殖するって言うのはその内での問題だ。一足す一は二、二足す二が四と言うようなこと、それで九九までいく。九九まで行く。それを一生懸命教える訳だ。すると実はからだと九九とは関係ないんだよ。ないんだけれど、一足す一は二だっていう風な、そういう所でどこかで止めてしまえば、教育はひょっとしたら、その数字は身体の中に入るだろう。それがどんどんどんどん頭の中だけ、でこう、それをね、増殖と言ってる、土方は。〈奇妙な増殖があって、馬鹿正直な景色だ〉って言ってるね。そういう風に言う彼自身がもう既にその時あったんだろうね。
それは彼の現実から言えば、学校が嫌いだとか、或いは学校へ行くこともあの姉の問題があったりして、恥ずかしい思いで学校へ行かなきゃいけないと言う、切実な何かを持ち歩くんだからね。その結果かもしれないけれど、とにかく〈奇妙な増殖、馬鹿正直な景色〉と言う、そんな書き方をしているね。だから「禁色」が出来上がって、僕達はそれを舞踏の初年だというようなことを言うんだけれど、実はそうじゃないんだな。そのずっと以前からからだのことが彼の中であって。
やっぱり戦争にちょっと遡る気もするんだけれどね──
戦争はまぁ戦争でいいんだよ。終戦後なんだな。何て言うかな、僕なんかつくづく戦争が終わって感じたあの心安さと言うのがあるんだね。バーッと解放されてね、何だかからだ中がボーッとこう緩(ゆる)やかになっていく事をね、ずっと感じていた時期がある。フッと横を見ると皆同じように苦しい生活を始めている訳だ。ひどく平等感があるんだ。それは、ちょっとある意味じゃ平和みたいな感じがするんだよ。それは多少の貧富の差はあっても、皆苦しい所から抜け出してきたって言う共同体みたいな気分があってね。それが続いて行くだろう。何て言うのか、つまりいい意味でそれが膨らんでいったり、満ちていったりするだろうという希望を皆が持っていたんじゃないか。ところがそれが次々と崩れていく。そうすると六十年安保が出てくる訳なんだけどね。その崩れて行くそういう状態が、踊りの世界の中にもあったような気がする。
(戦時中は)現実がひしひしとやって来る。否応なくやって来る。それに向き合う。その手段としては滅私奉公しかない訳だ、そんな所へ潜り込んで行くんだけれども、滅私奉公に燃えられるような何かがやっぱりあった。ところが終戦後、一時そういう非常にくつろいだ、開かれた、あるいい時期があったんだ。それが短時間の内にどんどんどんどん消えて行く訳だ。消えて行くと、今度は商売さ、商売をやると、昔ながらのお嬢さん芸みたいな事ばっかりを売って歩いて、そして舞踊そのものをホッと感じたような事と結び付けることもなく、あるいは戦前のカーッとなったやつを維持してくると言うこともなくね。突然ね、僕は日本の舞踊界と言うのはゆるんじゃったような気がする。何をやっていいか分からなくなるんだ。そういう事は一般にも言えるんだけどね。一般の表現者達の中でも言えるんだ、がやっと立ち上ってくるのがね、良心的に立ち上がれる人達、これ五十年代後半ですよ。立ち上れない一般の舞踊家達は、そのままどんどん淡くなって行くわけ。ところが現実には舞踊界と言うものを彼らはがっちり持っている、一種の窒息状態になって皆が馴れ合いになっている。そういう状態の所に、土方が、からだが出てくるわけだ。
あの真っ暗な舞台作り、見えない舞踊。これはやっぱり誰もやっていないことだろうというような気がする。センセーショナルな、あるいはジャーナリスティックな、そういうとらえ方ではなくて、それがそこにあった時の根拠って言うのがある。真っ暗で見えない舞台ということなんだ。舞台の暗がりを発見したこと、暗がりを置こうと思ったこと、あるいは、あぁもうそれでいいんだよというような所で切ったか、ね。もう暗くていいじゃないかと、見せちゃ行けない禁忌なんだから、それでいいじゃないかぐらいの、気楽な感じかなと思ったりするんだけどね。
あそこには「病める舞姫」に出てくるような幼少の全く個人的な悲惨さ、あるいはその悲惨を耐えてきたからだ、それはあんまり感じられない。あまりにもきれいに出来上がり過ぎている。白黒もね、きれいに出来上がり過ぎている。非常に単純になって、あんなに単純になるというのは難しいことなんだけれども、それはもう投げ出すような調子でやったのかもしれないと。
結局土方を見て舞踏、舞踏だーっと言う風になった人達が、
今衰えていっている──
その理由はやっぱりそれをからだに戻さなかったからだ。現象なんですよ。現象を受け取って、それを後継いでいけば何か出来るという風なね。舞踏、舞踏と言い始めると衰えて行くわけだ。舞踏じゃないのよ。こっちに舞踏と言うものがあり、外部の条件になれば、からだにその舞踏、色んな人の舞踏を見た、そこからいっぱい入ってくる、入ってくることによって自分の中でもう一回作り直すようなね。からだを経過していく時間がないと、やっぱり舞台は継続して行かない。
ちょうど今一番悪い時期なんだ。ずっと舞踏の概念を追いかけてきただけのような。すると力をなくしてしまってね。だからやっぱり外に出るべきなんだよ、本当にね。日本でだったら、それは社会的に、社会と直接接するような状態になった方がいい。あなたが言う、職業を持っていて、一方で踊りをやっていただろうと、そういう昔の民俗舞踊なんかの正しさがあるわね。労働があるから踊りが発生したと。ただし踊りそのものが私達のからだの中にあるんだよ。これは簡単に言えば、私達はどこかでバランスを取らなければいけない、というような。これは生きて行くためのバランスを取るということ、そのバランスを失してもいいじゃないかという二つのものを持っている訳だからね。だから本然的にはからだの中に踊りと言うものがあるんだと、そしてそれが労働の果てに何かを満たす動機が入って来ると、ちょっと手が動いていったりすると言うような所から発生してくる正しさね。正しいね。それを今なくしてるね。なくしてるよ。